師岡熊野神社(石川正人宮司)は2024年、創建1300年を迎えました。その大きな節目には宮神輿の奉納やそのお披露目、例大祭、そして創建千三百年奉祝大祭、奉祝大祭神賑行事など、さまざまな記念事業が行われ、多くの人々の心に残る一年ととなりました。
- 2025年は創建1301年。地域とともに歩んできた同神社にとって、次の50年、100年に向けた新たなスタートの年となります。
初の宮神輿、氏子より奉納
聖武天皇時代の724年に全寿仙人によって開かれた師岡熊野神社は、関東で初めて祀られた熊野神社と伝えられ、関東地方における熊野信仰の根拠地として、また、横浜北部の総鎮守の宮として、広く崇敬を集めてきました。
国産み神話で知られる伊邪那美命(いざなみのみこと)をはじめ、事解之男命(ことさかのおのみこと)、速玉之男命(はやたまのおのみこと)を御祭神とする同神社は、和歌山の熊野三山(本宮大社・那智大社・速玉大社)を本社としています。その同神社を舞台として、2024年には、悠久の時を超えた大きな節目を地域とともに祝おうと、さまざまな記念事業が企画されました。
宮神輿の奉納
その一つが4月に行われた宮神輿の奉納。同神社では初となる宮神輿を氏子が地域のコミュニティの深化を願い造営し、奉納したものです。
宮神輿とは神社が保有する神輿で、町会の神輿は一般的に町神輿などと呼ばれます。
人々の思いを乗せようと、宮神輿の御簾を構成する瓔珞のパーツに参加者のイニシャルを刻印する工夫も施され、奉納時に石川宮司は「これ以上のものはない。皆が心を寄せてできた事実は、末代まで語り継がれるべき」と感動を言葉にしていました。
お披露目渡御
宮神輿のお披露目渡御が行われたのは、6月2日。樽町にある杉山神社での出発式を経て、山車や神職らに続き、師岡熊野神社氏子神輿会や友好団体等の面々が宮神輿を担ぎ、街を練り歩きました。
10月には同神社境内横に神輿蔵が整備されました。また、神輿蔵の完成と同じころ、社殿に向かって左側に昇降機が設置されました。これにより高齢者や足の不自由な人が昇殿する際の負担が軽減されます。
節目の奉祝大祭、そして未来へ
10月15日には、数々の記念企画の中でも大きな行事となる創建千三百年奉祝大祭が行われました。奉祝大祭では、石川宮司が、祭神に境内整備や大改修等の取組み、1300年に関する行事等を報告する祝詞を奏上しました。
神事に続いて設けられた記念祝賀会の席で石川宮司は、集まった人々に対し「たくさんの方々のお力を得て、多くの事業をやらせていただいた」と感謝の気持ちを伝えていました。
同神社の御神紋は、導きの神と言わる3本足の「八咫烏」。熊野の神の使いとして神武天皇の御東征の導き役を果たしたと伝わる足の守護神としても知られています。創建1301年の2025年は、これからの50年、100年への新たな船出に相応しい年。足の守護神に導かれながら、地域の人たちとの絆を大きな糧に、一歩一歩、確実に未来に向かって進んでいきます。
大事業の数々、次の100年へ強固な礎に
師岡熊野神社 宮司 石川正人
「多くの皆様のご協力を賜り、創建千三百年記念事業が完遂出来ました事を心より感謝申し上げます。そして何よりも予定されていた全ての事が感動と称賛の中で推移している状況を見る時、宮司の立場からして生涯の喜びであると言えます。本当に有難うございます。
氏子の皆さんから宮神輿の奉納を受けてよりお披露目渡御、奉祝大祭、神輿展示施設の建設、車椅子用昇降機の設置、そして注目の2日間に亘る神輿渡御は神社の歴史の中に確かに刻み込まれたものと確信出来ます。
そして、この節目の大事業が次の100年に向けての強固な礎づくりになったものと自信を持ってお伝えしたいと思います」
伝統神事、時を超えてつなぐ
世の中占う筒粥神事
その年の農作物の収穫や世の中の景気などを占う筒粥神事。毎年1月14日に行われ、師岡熊野神社では2025年で1076回目を数える。神事は午後2時から。
大釜に27本の葭と筒と米を入れ、そこに御神水を加えて炊き上げます。炊きあがった葭の筒は、総代立ち合いのもと、社殿で石川宮司の手で一本ずつ割られ、それぞれの筒に詰まっている粥の量により、作物の吉凶や天候等を占います。
夏越の大祓
自身や社会の罪穢れを祓い、残りの半年を無病息災で過ごせるように願う夏越の大祓は毎年6月30日、午後2時から行われます。境内には茅の輪が用意され、神事が終わると、神職らに続いて一般参列者が8の字を描くように茅の輪をくぐり社殿に拝礼します。罪穢れを祓い清く生まれ変わることから、胎内くぐりともいわれます。
参列者は自身や家族の健康、世界の平和などをお願いします。
地域とのつながりを深化
このように、長い時を経て伝統をつなぎ地域との絆を築いてきた同神社。これからも人々の拠り所として地域とのつながりを深化させていきます。