『鎌倉殿の13人』ゆかりの地~頼朝の軌跡「土橋跡」など鎌倉古道の伝説<川崎市宮前区>

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土橋会館に掲げられている「圡」の文字の入った看板(上)と土橋跡があったとされる東名川崎IC周辺。

「土橋跡」

 年明けから始まったNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』。ドラマの中で重要な役割を果たす源頼朝ゆかりの地が、宮前区内に存在する。「土橋跡」など、頼朝が奥州遠征の際に残したとされる鎌倉古道の伝説を追った。

 古道としての鎌倉街道は、鎌倉時代に幕府のある鎌倉と各地を結んだ道路網の総称。関東地方を通過する鎌倉街道は上道、中道、下道の3つがあった。

 『宮前区歴史ガイドまち歩き』によると、区内に残る頼朝の軌跡は、文治5(1189)年の奥州遠征時に、中道の支線を通った際のもの。特に鷺沼から土橋、初山を経て枡形山に向かう鎌倉古道には、いくつかの伝説が残っている。

歴史受け継ぐため

 江戸時代から明治時代中期にかけて土橋村があった。「土橋の漢字は『圡※』と書き、常用漢字では使われていません」と話すのは、土橋町内会の大久保透会長。土橋の町名は、右大将となった頼朝が鎌倉幕府開府を前にこの地に立ち寄り、鎌倉古道と呼ばれる道筋とドンドン川(現矢上川)が交差するところにかけた橋の名にちなんでつけられたという。

 同町内会では現在も「圡」は土橋会館に、「※」は納涼盆踊り大会の手ぬぐいに使用している。大久保会長は「その時代のものと思われる、由緒ある書体を残すことで歴史を受け継いでいきたい」と思いを話す。

※部分の漢字

「茶筅松跡」「鞍掛松跡」

 『新編武蔵風土記稿』によると、同ルートには頼朝が松の葉を茶せんの代わりに使い、その葉を捨てたところ根が付き大木となった「茶筅松跡」や、頼朝が乗鞍を松の木に掛けたという「鞍掛松跡」も記されている。

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住所

神奈川県川崎市宮前区

公開日:2022-02-13

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