浜降祭を盛上げるさまざまな甚句。「ここぞ」という場面で任せられる、誰もが認める甚句の名手が、南湖下町神輿保存会の三橋一俊理事長です。
「喉が枯れるから、あまり唄わない」と照れた様子を見せますが、宮出しや、浜での神事後に海から上がる際などではほぼ甚句を任されるそう。三橋さんが唄うと、より一層、神輿が揺れ鈴が鳴ります。「はしらない(リズムが崩れない)ように唄う」のがコツだそう。十八番は吉原女郎衆を唄った色唄だそうです。
背を見て耳で覚え
三橋さんは、今の「南湖中央交差点」の周辺の生まれです。「全部の神輿が家の前を通っていたから、甚句を子守歌に育ったようなもの」だそう。初めて神輿に肩を入れたのは小学校2年のときでした。「土砂降りの浜降祭で浜にも行かなかったが、家の前に神輿が来たときに当時の世話人に『担げ』と言われて」と目を細めます。
当時の甚句は、決められた数人程度が唄えるものでした。「俺もいつか」と憧れを抱き、耳で聴いて覚え、練習を重ねました。下町の甚句を録音したレコードが発売された際は擦り切れるほど聴いたそうです。
唯一教えを受けたのは、住吉神社の長老・故飯田久仁一さんからのみ。祭の後に酒を酌み交わしながらたった一度「あの節回しはよ…」と教えてくれ、その技を受け継ぎました。今も飯田さん宅の前では甚句を唄っています。
各神社や唄い手ごとに節回しは違えど、「ちゃんとしたものを後世に伝えていくために、唄える人がきっちり唄えれば良い」と昔ながらの節回しを大事にしています。「みんなで協力して伝統ある祭りを守っていきたい」