【県西いやしの旅 鎌倉殿編】あなたはいくつ知ってる?県西エリアに伝わる源頼朝の足跡

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令和4(2022)年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」。県西エリアは、源頼朝が平家打倒の合戦を繰り広げた鎌倉幕府創設の礎の地として、ゆかりのあるスポットや登場人物の伝説が多く残されています。歩くのにぴったりなコースも多いので、ウォーキングで未病改善をしながらドラマで観た情景に思いを馳せて、その足跡をたどってみませんか。

目次
【小田原市】石橋山古戦場と佐奈田霊社
【湯河原町】しとどの窟・城願寺
【真鶴町】頼朝の腰掛石と源頼朝船出の浜
【箱根町】箱根神社
【山北町】室生神社の流鏑馬・河村城跡・洒水の滝
【南足柄市】範茂史跡公園・頼朝のひじ松

【小田原市】石橋山古戦場と佐奈田霊社

頼朝が挙兵して初の源平合戦となった「石橋山古戦場」

石橋山古戦場に建てられた石碑

治承4(1180)年に平家打倒を掲げて伊豆国から約300騎で挙兵した源頼朝は、鎌倉に向かう途中、平家方の大庭景親ら3,000騎余りの兵と戦います(石橋山の戦い)。この戦いの舞台となったのが「石橋山古戦場」です。頼朝方の先陣を任された佐奈田(さなだ)与一義忠が平家方の俣野景久に組み討ちを挑んだことを発端に戦闘となりました。頼朝は自軍の10倍を超える軍勢に苦戦を強いられ、惨敗しました。

■石橋山古戦場
場所/神奈川県小田原市石橋
問い合わせ/小田原市観光課:0465-33-1521
https://www.city.odawara.kanagawa.jp/kanko/corridor/historic_battlefield/p10043.html

石橋山の戦いで討死した頼朝方の先陣、佐奈田与一義忠を祀る「佐奈田霊社」

のどや声に霊験があると知られる佐奈田霊社(写真提供:小田原市)

石橋山の戦いで討死した佐奈田与一義忠を祀っているのが、石橋山古戦場近くにある「佐奈田霊社」です。与一は合戦で俣野景久と組み討ちのときに痰を絡ませたため、味方の呼びかけに答えることができずに討たれたといわれています。この出来事にちなみ、佐奈田霊社は「のどの神様」として咳、喘息、気管支炎などで悩む人々や喉(声)を使う人々からの信仰があつく、多くの参詣者が訪れます。

■佐奈田霊社
場所/神奈川県小田原市石橋420
問い合わせ/小田原市観光課:0465-33-1521
https://www.city.odawara.kanagawa.jp/kanko/corridor/historic_battlefield/p10044.html

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【湯河原町】しとどの窟・城願寺

平家方の追手から身を隠した「しとどの窟」

森の中のおいしい空気を吸いながら、山道を進むとたどり着きます(写真提供:湯河原町)

湯河原町の山中には、20体以上の石仏が安置された「しとどの窟(いわや)」があります。石橋山の戦いで平家方に敗れた源頼朝が土肥実平らに導かれ、この岩窟で追手の目から身を隠したとされています。うっそうと茂る木々に囲まれ、山深い場所にあるこの岩窟。頼朝は、どんな気持ちでここに隠れていたのでしょう。現在は、訪れやすいように道が整備されています。

■しとどの窟
場所/神奈川県足柄下郡湯河原町鍛冶屋
問い合わせ/湯河原町観光課:0465-63-2111
https://www.town.yugawara.kanagawa.jp/kankou/leisure/historic-place.html
https://www.yugawara.or.jp/sightseeing/668/(湯河原温泉観光協会公式ホームページ)

土肥実平一族の菩提寺「城願寺」

城願寺の本堂

湯河原駅から徒歩で8分ほどの場所にある「城願寺」は、郷土の英雄として知られる土肥実平ら一族の菩提寺です。本堂の近くには、66基の墓石が置かれた土肥一族の墓所があります。鎌倉様式の重層塔や、塔身が球形をした五輪塔など、各種の墓型が一墓所にそろっているのは関東地方では珍しく、「土肥一族の墓所」として神奈川県の指定文化財となっています。また、境内には土肥実平の手植えと伝えられている樹齢約900年(推定)、高さ約20mの巨木・ビャクシンがあります。昭和14(1939)年に国指定天然記念物に、また昭和59(1984)年には「かながわの名木100選」にも選ばれています。

■城願寺
場所/神奈川県足柄下郡湯河原町城堀252
問い合わせ/0465-62-4010
https://jyouganji.jp/

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【真鶴町】頼朝の腰掛石と源頼朝船出の浜

頼朝が一休みした「頼朝の腰掛石」

貴船神社の鳥居の付近に置かれている「頼朝の腰掛石」

真鶴町の貴船神社を訪れると、境内で「頼朝の腰掛石」と呼ばれる大きな石を見ることができます。この石は、貴船神社近くにある岩窟「鵐窟(しとどのいわや)」の付近にあったとされています。「しとどのいわや」と呼ばれる岩窟は、先ほどご紹介した湯河原町のほか、真鶴町にもあり、湯河原町のものと同様に、源頼朝が身を隠したといわれています。その際、休息のために頼朝が腰掛けたというのがこの大きな石。元々、横倒しになっていた石が、貴船神社に移設されたとき、縦にして奉納されたと伝えられています。

■頼朝の腰掛石
場所/神奈川県足柄下郡真鶴町真鶴1117(貴船神社の境内)
問い合わせ/貴船神社:0465-68-0066
http://kibunejinja.com/keidai.html

石橋山の戦いに敗れた頼朝が安房国に向けて船を出した「源頼朝船出の浜」

源頼朝一行が船出したという浜

「源頼朝船出の浜」は、真鶴町の岩という地域にある海岸です。石橋山の戦いに敗れた源頼朝が追手から逃れるため、この浜から土肥実平や、「鎌倉殿の13人」の1人の安達盛長らとともに7人で安房国(現在の千葉県南部)に向かって船出したといわれています。

■源頼朝船出の浜
場所/神奈川県足柄下郡真鶴町岩957-1
問い合わせ/真鶴町産業観光課:0465-68-1131
http://www.town.manazuru.kanagawa.jp/soshiki/sangyoukankou/kanko/2187.html

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【箱根町】箱根神社

頼朝が深く信仰し、たびたび訪れた「箱根神社」

木々に囲まれた神社には穏やかな時間が流れます(写真提供:箱根町)

石橋山の戦いで敗れた源頼朝を一時的にかくまった「箱根神社」(当時の呼び名は箱根権現)。このときの恩を忘れなかった頼朝は以後も、箱根権現を深く信仰し、熱海の伊豆山神社(伊豆山権現)とともに文治4(1188)年から「二所詣」を始めたといわれています。以降、二所詣は鎌倉幕府の恒例行事となり、三代目実朝、四代目頼経の代にも続き、執権が北条氏となった後も箱根権現には多くの武家がお参りに訪れ信仰しました。現代も運開きの神様として信仰され、参拝客は年間2千万人を超えるといわれています。

■箱根神社
場所/神奈川県足柄下郡箱根町元箱根80-1
問い合わせ/0460-83-7123
https://hakonejinja.or.jp/

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【山北町】室生神社の流鏑馬・河村城跡・洒水の滝

河村義秀の旧領復帰翌年から800年以上続く「室生神社の流鏑馬」

11月3日の例大祭の様子(写真提供:山北町)

山北駅から徒歩で約10分の場所にある室生神社では、毎年11月3日の例大祭の神事として流鏑馬が行われます。この「室生神社の流鏑馬」は平成7(1995)年に、神奈川県の無形民俗文化財に指定されています。石橋山の戦いの際、平家方に味方したために領地を没収されて斬刑に処されるところだった河村義秀が、建久元(1190)年に鎌倉で行われた流鏑馬で妙技を披露し、刑を免ぜられて旧領に復帰した翌年から始まったとされているため、800年余り続いているとされています(『新編相模国風土記稿』『吾妻鏡』)。流鏑馬は、氏子たちで作る「室生神社流鏑馬保存会」が継承しています。先導役と射手役の2頭立てで、3つの的を射ながら全長約270mを駆け抜けます。例大祭当日は毎年多くの人が沿道に集まり、神事を見守ります。

■室生神社の流鏑馬
場所/室生神社:神奈川県足柄上郡山北町山北1200
問い合わせ/山北町教育委員会生涯学習課:0465-75-3649
http://www.town.yamakita.kanagawa.jp/0000000566.html

流鏑馬で活躍した河村義秀ゆかりの城「河村城跡」

河村城址歴史公園

山北町の標高約225mの丘陵上にある「河村城跡(かわむらじょうあと)」は戦国時代の小田原北条氏の出城として知られていますが、歴史をさかのぼると源頼朝の時代につながります。河村城を築いたとされる河村氏は、平安時代末期に藤原秀郷の流れを汲む秀高が河村姓を名乗ったことが始まりとされています。その子どもが「室生神社の流鏑馬」にゆかりのある義秀です。平成元(1989)年から6年かけて調査研究と歴史公園としての整備が行われ、平成6(1994)年に「河村城址歴史公園」が誕生しました。平成8(1996)年に山城としては初めて、神奈川県指定史跡となっています。

山城のため上りが続きますが、空気が澄んでいて気分上々です

JR御殿場線山北駅から城入口まで徒歩で約10分。ここまでは歩きやすいですが、この先は上り坂が続きます。城入口から約20分登ると山頂の「本城郭」に到着します。

史跡には説明板が設置されています

公園には県内最大級の堀切(障子堀)などが復元されており、説明板をみながら歴史を学ぶことができます。敷地面積は約8万1,334㎡。史跡を歩いて回ると、「運動」での未病改善にもつながりますね。

 

山北駅前にある山北町観光協会で御城印を手に入れました(1枚300円)

河村城を訪れた記念として、「御城印」がおすすめです。お寺や神社の「御朱印」を参考に河村城址保存会が作成したもので、ハガキとしても利用できる材質です。JR御殿場線山北駅前の山北町観光協会と、ともしびショップさくら(山北町健康福祉センター内)で購入できます。

■河村城跡
場所/神奈川県足柄上郡山北町山北
問い合わせ/山北町教育委員会生涯学習課:0465-75-3649
http://www.town.yamakita.kanagawa.jp/0000001056.html
http://www.town.yamakita.kanagawa.jp/0000004885.html(御城印について 山北町公式ホームページ)

河村城跡と洒水の滝をめぐる森林セラピーロード

洒水の滝(写真提供:山北町)

また山北町では、河村城跡と洒水(しゃすい)の滝をめぐる「森林セラピーロード」を紹介しています。「洒水の滝」は、河村城跡から徒歩で約30分ほどで、日本の滝百選や名水百選、かながわ未来遺産100などに選ばれています。現在は遊歩道の整備工事中のため、日曜日と祝日を除き通行止めです(工事は令和4(2022)年3月頃までの予定)。

※遊歩道整備工事の最新情報はこちらでご確認ください

■洒水の滝
場所/神奈川県足柄上郡山北町平山
問い合わせ/山北町商工観光課:0465-75-3646
http://www.town.yamakita.kanagawa.jp/0000000198.html
■森林セラピーロード
問い合わせ/山北町森林セラピー運営協議会事務局:0465-75-0822
http://www.town.yamakita.kanagawa.jp/0000001001.html

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【南足柄市】範茂史跡公園・頼朝のひじ松

鎌倉幕府打倒を目指した藤原範茂が葬られた「範茂史跡公園」

大河ドラマの主人公、北条義時が執権のとき、後鳥羽上皇が鎌倉幕府に対して起こした承久3(1221)年の「承久の乱」では、上皇側の公卿である藤原範茂が捕らえられ、京都から鎌倉に送られる途中に足柄峠を越えて関本(南足柄市)に至りました。「明日はいよいよ鎌倉」というところ。鎌倉に着いてしまったら、範茂は首を切られてしまいます。「首と胴が離れてしまった者は極楽にいけない」という仏教の教えから、範茂は役人に頼んで近くの川で死なせてもらいましたが、役人たちがそれを哀れに思い、高台に葬りました。それがこの「範茂史跡公園」とされています。

■範茂史跡公園
場所/神奈川県南足柄市怒田 125-1
問い合わせ/南足柄市観光協会:0465-73-8031
https://www.city.minamiashigara.kanagawa.jp/kurashi/manabi/park/norishigeshiseki_kouen.html

満月を楽しむために頼朝が枝を曲げさせた松「頼朝のひじ松」

今も残る「ひじ松神社」

鎌倉に幕府を開いた源頼朝は建久4(1193)年に富士の裾野で大規模な軍事演習である「巻狩り」を行うことになり、足柄峠を越える前日、麓に陣を張りました。夜になり酒宴を始めたところ、見事な満月が出ていましたが、松の枝が邪魔でよく見えません。頼朝は家来に命じて松の枝を曲げさせたところ、松の枝はその後もひじの様に曲がったままになってしまったので、人々はこの松を「ひじ松」と呼んだと伝わっています。初代の松は枯れ、現在は何代目かの松になります。昭和の初期に「ひじ松神社」が建立され、現在も松の横に祠が建っています。

■頼朝のひじ松
場所/神奈川県南足柄市矢倉沢定山(はこね金太郎ライン南足柄側入り口から車で3分)
問い合わせ/南足柄市観光協会:0465-73-8031

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自然豊かな県西エリアには、「鎌倉殿の13人」で改めて注目を集める歴史・文化遺産がたくさんあります。自然に調和した歴史的景観を楽しみながら、ウォーキングなどで未病改善に取り組んでみてはいかがでしょう。

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公開日:2022-03-17

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