NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の影響もあり、昨今注目を集める「鎌倉北条氏」。相模原市でもその痕跡がないか調べていると、読者から「南区にもゆかりの地がある」との連絡が。早速取材に訪れてみた。
連絡をくれたのは、古淵に住む細谷昇さんと細谷永久さん。2人によると古淵にある「大日堂」が、北条氏と関りがあるという。
地域に伝わる逸話によれば、時代は鎌倉時代の末期。南朝と北朝と2つの朝廷が存続していた頃の1333年、新田時貞が鎌倉幕府・北条高時を攻め、これを滅亡させた。ところがその2年後、信濃に逃れていた高時の子・時行が鎌倉奪還を目指して諏訪頼重とともに蜂起。これを迎え撃つために出陣してきた足利直義(尊氏の弟)軍と、大激戦を展開したのが鎌倉街道の要衝「井出の沢(いでのさわ)」だった。結果は北条方が勝利し、足利勢は死体もそのままに鎌倉へ逃げ帰ったと伝えられてきた。これが「いでのさわの戦い」のあらましで、大日堂はその際の戦死者を村人が葬った寺として建立されたそうだ。
これらの縁起を裏付けるのが、大日堂に古くから伝わる「大日如来様 ご和讃」=下記=。この中に出てくる先代とは北条時行、高座川は境川とされる。大日堂は、江戸時代には白楊山遍照寺という真言宗の尼寺で、最後の庵主が亡くなると廃寺となり、現在の地に移されたといわれている。
今でも毎月7日、各家代々の念仏を唱える夫人らにより、鈴・鉦・撞木を鳴らしながら、御真言と和讃が唱えられ、継承されている。
いでのさわという地名は古淵の他に、町田市本町田にあり、境川流域の広い地域を指したとされる。また、北条高時は鎌倉幕府の14代執権で、大河ドラマの主人公・北条義時の直系となる。
「大河ドラマと同じ時代ではないが、鎌倉北条氏がこの地で戦ったという歴史はある。ぜひ訪れてかの時代に想いを馳せてもらえれば」と細谷永久さんは話している。