茅ヶ崎市中島在住 石井 雅俊さん(36)
川崎市出身。都内の自然食品店や大手住宅メーカー勤務を経て、コロナ禍をきっかけに2020年5月、NPO団体「ふるさとファーマーズ」を発足。有機農家への援農をはじめ、21年4月からは県立茅ケ崎里山公園に隣接した約1,500㎡の農地で、不耕起栽培を展開。生産者と消費者のかけ橋となる取り組みを行っている。21年7月、茅ヶ崎に移住。
生い茂る草、息づく虫たち。ここは本当に「農地」?
ここは茅ヶ崎の最北端・県立茅ケ崎里山公園に隣接する農地。
膝上まで伸びた草をかき分けて歩けば、バッタや色鮮やかなクモ、見たこともない虫たちが、一斉に方々へ飛び跳ねていきます。
一見、荒れ地に見えますが、れっきとした農地です。
「これはオクラ、あっちは枝豆」との声に促されて目を凝らせば、旬の野菜たちがじっくりと根を下ろし、養分を蓄えています。
「僕たちは『不耕起栽培』と言って、耕さない農業に取り組んでいます。あまり知られていませんが、実は畑を耕すことで温暖化の原因ともいわれているCo.2を放出しています。不耕起栽培では、その炭素を土中に貯留したままにできるため、『環境再生型農業』とも呼ばれています。自然の循環を利用した環境にやさしい農法です」
のっけから熱く語るのは、この畑を運営する石井雅俊さん(36)です。
「無農薬・無肥料で、環境にもからだにも優しい安全安心な農を通して、街や人、地球環境の未来を明るくし、次世代につないでいきたい」
こんがりと日焼けした褐色の肌から、白い歯をのぞかせます。
コロナ禍で「日本の農」へ危機感
実は石井さん、「新規就農者」ではありません。
週に何日か、障がい者のグループホームで働く傍ら、畑で汗を流しています。自然食品を扱う店で店長として働いていたこともあり、農業や食糧事情への知識はあったものの、農に関わり始めたのは、2020年5月から。
「コロナ禍を機に、日本の食に対して危機感を覚えたことがきっかけです。各国が穀物の輸出を一時規制し、日本のスーパーやコンビニから小麦粉や大豆製品が消えたのを目の当たりにして、『また予期せぬ事態が起きた時、これではまずい』と思ったんです。日本の自給率はわずか37%。味噌や醤油、納豆など、和食の要となっている大豆ですら自給率6%という有様です。この課題を人任せではなく、自分が取り組まなくてはと感じました」
そこで一念発起し、勤めていた大手住宅メーカーを退職。
「未来の食を守りたい」という思いを持つ有志でチームを組み、NPO団体「ふるさとファーマーズ」を発足しました。当初メンバーは5人ほど。料理店のシェフ、プロの音楽家、IT関連など、年齢も仕事もさまざまな顔ぶれが並びます。
当初は、藤沢市の有機栽培農家さんを皮切りに、千葉のいちご農家さんや小松菜農家さんなどで視察や援農活動を実施。
しかし、現場を知るにつれて見えてきたのは、生産者と消費者との歴然たる「距離」でした。
「戦後の日本を支えてきたのは、安定収穫や量産ができる農薬や化学肥料を用いた『慣行農業』です。しかし、現代では地球環境への負荷をはじめ、フードロス、食の安心安全などの課題が突き付けられています。危機的状況にある日本の農業事情、食糧事情を少しでも変え、持続可能な農業を続けるためには『食の安全』に対して、それぞれの意識を変革をする必要があると感じるようになりました」
さらに石井さんは力強く語ります。
「効率や価格、見栄えなどの目先のことだけでなく、次世代により良い暮らしや安全な食の『種』をまくことが必要です。それなら、自分たちが両者の間に入って、つなげていこうと思ったんです」
まずは現状について知ってもらうために、子どもや若い世代を中心に、「援農ボランティア」を受け入れることに。
そのほか、小売スーパーの労働組合による農業研修、地元農家との交流、街でのマルシェ開催など、多岐にわたる活動を展開してきました。
後継者がいない茅ヶ崎の畑で、理想の「農」に挑戦!
茅ヶ崎での活動は2021年4月から。茅ケ崎里山公園のつてで、地元農家さんの農地を使わせてもらえることになりました。
高齢化に伴い、広大な畑を1人で切り盛りすることが難しくなった田代喜一さん(75)の代わりに、石井さんらが一部の畑を運営し、里山公園もサポートに入ることで三者が合意したのです。広さは1,500㎡、テニスコート6面分に相当します。
「僕らが目指す農業は、人間の手をかけず、山に近い環境を作ること。こんな環境があって、本当にありがたい」
しかし、ここはもともと慣行農業で農薬や肥料が使われていた畑。ゼロから土壌から改良することに。土づくりから種まき、道具の使い方まで、すべてが手探りです。
「当時、実践していたのは、薬も肥料も一切使わず、土壌菌や雑草の根や虫などの力を生かして育てる『自然栽培』です。理想は『鎌1本、鍬1本』の『ほったらかし農業』。周囲の農家さんからは何やってんだよと呆れられていた」と笑います。
刈り取った雑草は、苗の横にそっと添え、微生物たちの働きで「地力」をよみがえらせます。
そのほか、農作物の成長に不可欠な「窒素」を空気中から取り入れ、土中に留めてくれるマメ科の種を植えることで、土壌改良を行ってきました。
茅ヶ崎での本格始動から半年。
ようやくダンゴムシやミミズ、もぐらが増え、さらにはキノコも生えてきて、畑の環境が変わってきました。
そして、年間を通じて、大豆やじゃがいも、ニンジン、パクチー、アスパラ、ズッキーニなど、30品目以上を収穫。「種」の採集までも実現させました。
とはいえ、収穫までには慣行農業の2倍以上もの時間がかかります。ちょうどこの頃、隣接する慣行農業の里芋は背丈ほどの高さがありましたが、石井さんらの里芋は、膝下にも及ばないサイズ。これでは安定収穫し、流通に乗せて広く届けるというわけには行きません。
しかし、環境への配慮、食の安全性といった付加価値により、根強いファンを増やしています。
貸主の田代さんは「草ボーボーの畑で、周りの農家からも心配されているんだけれど、彼らがやっているのは『原始農業』だから、温かく見守ろうって言ってるんだ」と笑います。
それに対し、石井さんは「今はまだ試行段階。農業経験もない自分たちに大切な土地を使わせていただいた上に、自分たちの畑を静かに見守ってくれて、感謝しかありません。田代さんに報いるためにも、是が非でも軌道に乗せたい」と力を込めます。
茅ヶ崎に移住、「人があたたかい」
21年7月に茅ヶ崎市中島へ移住してきた石井さん。
「茅ヶ崎は人があたたかい。すぐに仲良くなれるし、『こんな人いるから紹介するね』『今度、こんなイベントあるよ』と、どんどんいろんなことを教えてくれます。あと、交差点を渡ろうとすると、すぐに車が停まってくれます。都内や川崎ではこうはいきません」と笑います。
また、芹沢の畑まで自転車で通っていることもあり、「市内の南北で表情が大きく変わりますよね。おしゃれでかっこいい『City×Sufe』の海側と、昔ならではの里山が広がる北部。農家さんから『昔はなぁ…』って茅ヶ崎の歴史について教えてもらう機会があって、とても恵まれていると思います」
さらには一戸建ての「ファーマーズハウス」を設け、大学生の長期滞在や、都内から訪れる人の宿泊など、援農ボラの受け入れも行っています。
畑で広がるコミュニティ「農家と消費者の架け橋に」
茅ヶ崎で1年半。「ふるさとファーマーズ」の会員も、当初は都内や川崎の人ばかりでしたが、今や大半が茅ヶ崎や藤沢在住者です。
石井さんがこまめにSNSで情報発信し続けた甲斐もあり、その多くが「きっかけはSNSの投稿を見て」。主婦や会社員、自営業など、顔ぶれもさまざまです。
- コロナでマスク生活が当たり前になったことに違和感があり、子どものために自然体でいられる場所を探していました。子どもと一緒に農作業を体験できるのも良いですね(茅ヶ崎市内在住・4歳と1歳のママ)
- 石井さんの『水道の塩素濃度引き上げ』についての投稿を読み、自分たちが知らないうちに大切なことが決まっていることに危機感を覚えました。実際に畑に来て、農薬の有無や栽培方法によって栄養価も違うことなども知りました。ここの野菜は味やにおい、えぐみが全然違ってびっくり。天候に左右されて大変なこともあるけれど、いつも畑のことを気に掛けています。子育てしている感じです(辻堂在住・作業療法士)
- もともと家庭菜園をやっていたので、市民農園を探していたらSNSで見つけました。土をいじっていると楽しいし、気晴らしにもなります(岐阜県から単身赴任中の会社員)
また、会員とは別に、援農ボランティアとして単発で、子ども連れのほか、食や環境問題に関心のある小中学生・大学生らの参加も。
「畑仕事の合間に、空の下でみんなでお弁当を食べたり、一緒に虫を捕まえたり。リピーターも多くてうれしいですね」
茅ヶ崎の藍染工房「Saiai Studio」とタッグ
石井さんの畑からほど近くでひっそりと佇む藍染工房「Saiai Studio」。日本の昔ながらの藍染技法を使い、種の採取や種まき、藍葉の栽培まで、ひとり手作業で行う佐野太紀さんも「ふるさとファーマーズ」のメンバーです。
年齢も近いふたりは、自然や環境への思いがシンクロすることも多く、意気投合。
22年からはふるさとファーマーズの畑で藍の栽培も行っています。また、工房へ出向き、藍染体験も。それぞれの感性を活かしたさらなる化学反応が楽しみですね。
食を取り巻く課題、企業×有機農家×NPOのチカラを
企業とも手を取り合っています。創設期から定期的に援農で訪れているのは、東京・横浜などに約1000店舗を展開する都市型スーパーの労働組合です。土づくりから種まき、収穫までの一連の作業に関わっている社員もいるそうです。
実は、八一農園の衣川さんも藍染工房の佐野さんも、石井さんのつてで、新たな畑で農作業ができることに。これも、石井さんが地元の農家さんから集めてきた信頼のほかなりません。
「休耕地があるけれど、見ず知らずの他人には貸したくない。石井さんの仲間なら…」と、生産者同士の橋渡しも実現させてきました。
茅ヶ崎駅前の飲食店へ野菜提供
ネットワークも広がり、わずかではありますが、収穫した野菜を茅ヶ崎市内の飲食店が仕入れてくれるまでになりました。
この日は茅ケ崎駅北口の2店舗へ配達です。
元町の「しゃぶしゃぶBar菩提」
オープン直後に店を見つけ、雑談しているうちに野菜を届けることに。店主の馬 琳琳さんは「石井さんの考えやビジョンはすばらしい。さらに、それを実際に行動できるのはなかなかできないことですよ。私もできる限り応援したい」と温かく微笑みます。
ブラジル料理店「Pantera Negra茅ヶ崎」
「石ちゃんがこの前、持ってきてくれたパクチー、ソースにしたら大好評だったよ」とオーナーの上松大造さん。プライベートでも夜な夜な語り合うこともあるほか、上松さんが畑に訪れ、農作業することも。
「野菜をどのように作っているかが大切。実際、お子さんの食事に気を遣っているママも多く、自信をもって提供できています。石ちゃんとは茅ヶ崎での日が浅い者同士、互いに高め合っていきたい」
美味しい野菜のお惣菜とbentoのお店「AK-bento」
こちらには納品はしていませんが、自転車で通りかかって発見したという香川駅前の弁当屋。援農ボラが来る際には、人数分オーダーし、畑でみんなで食べています。
ボーダーレスで、食の未来へ種まき
「コロナを機に、食のあり方や本当の幸せについて見つめ直す人が増えています。『今だけ、自分だけ、お金だけ』という考えではなく、子どもから高齢者、障がい者までボーダーレスでいろんな人を巻き込みながら、食の未来のためにより良い『種』を植えていけたら」
その思いに共感し、たくさんの方が集まってきています。
その一つが、茅ケ崎養護学校です。同校の教諭や校長、PTA会長が、畑を視察に訪れました。
障害のある子どもたちが地域社会へ出て行けるように、さまざまな活動に取り組む同校の小川和豊さんは「『共生』という思いでつながっていると感じました。一緒に手を取り合って、生徒たちのために何かできれば」と意気込みます。
人間社会も畑も「多様性があること」が当たり前。雑草と野菜、害虫と昆虫、障害の有無など、「カテゴライズして、端へ追いやるのは人間だけです。自分と他者とのボーダーラインを作らず、ありのままの関係性を築いて共生していけたら」
石井さんはこうした考えも、すべて畑から学んだといいます。
「北部にこれだけの農地がある茅ヶ崎は、地産地消を気軽に実践できる街。ここ茅ヶ崎から、誰もが安心して食べられる野菜の自給率をあげていけたら」と展望を掲げます。
「限りある命。本当に大切なものは、収入とかステイタスとかではなくて、次の世代に、より良い食や暮らしの『種』を残せるか。自分の代で花を咲かせようなんて思っていないし、きれいごとに聞こえるかもしれないけれど、食の未来を背負う覚悟で取り組んでいます」
人間や動物、植物、微生物、大地、宇宙‥‥。見つめる先にあるのは、森羅万象が調和する明るい未来だけです。